ルート66 04/03/24 その1
40頁 ニュー・メキシコ州地図
ニュー・メキシコにもラスベガス

期待の朝食は、はっきり言って期待外れでした。
セルフのワッフルというのは、初めてで面白くはあったのですが、味はイマイチでした。
オレンジも林檎も美味しくなかったのですが、ここで日本の果物は美味しいと再認識!


この日は、サンタフェに行こうと考えていました。
インターステート40の256番出口でルート66は、二つに分かれます。
かつてはここから北上し、ラスベガスとサンタフェを経由してアルバカーキーに至ったのですが、
これでは回り道になるというので、直接、真西に進みアルバカーキーにいたる道ができたのです。

私たちは、北上してサンタフェを通る道を選びました。HISTORICの標識にもPRE 1937と書いてあります。



ラスベガスがここにもあるとは!
ニュー・メキシコのラスベガスは観光地という
雰囲気はなく静かな町です。

観光案内所の前にサンタフェ鉄道の
赤い機関車がおいてありました。
この観光案内所は、閉まっていて、
こちらに来てくださいという地図がありました。
その案内所はすぐ見つかって、ラスベガスの
地図をもらい、
アメリカには珍しいお城に行く道までも
案内してもらいました。
案内所の女性は本当に親切で、
道に迷ったら、またここにいらっしゃいとニッコリ!

「サンタフェ鉄道の赤い機関車」とありますが、
写真にあるのはcaboose(カブース)と呼ばれる車掌車だと思います。
アメリカの車掌車は屋根の上に突き出した部分があり、 そこに監視窓があるのが特徴ですが、
写真の車両も そうなっています。                談 池上


サンタフェ鉄道ができたときに作られたお城は、今は大学になっていました。
学生が春休みでいないので、案内人がなく、中には入れませんでした。
それよりも何よりも、このあたりは熊が出るんですね。警告板に見入ってしまいました。

ここ は、元々、「モンテズマ(Montezuma)」と云う名前のホテルでした。
サンタ・フェ鉄道(ATSF Atchison Topeka & Santa Fe Railway)が買収した
32箇所の温泉と800エーカーの土地がホテルに含まれていました。
モンテズマの建設は1879年、サンタ・フェ鉄道が開通して間もなく始まり、オープンは1882年4月17日でした。
此処の目玉は温泉を使ったスパとおいしい食事(フレッド・ハーヴィーの食事 Fred Harvey's Meal)と
洗練されたウェイトレス(ハーヴィー・ガールズ Heavey Girl's)のサービスでした。

モンテズマを運営していたフレッド・ハーヴィー社の創業者、フレデリック・ヘンリー・ハーヴィー
(Frederick Henry Harvey)は、ゲストに提供する料理の材料を缶詰で賄う事を認めず、
生鮮品にこだわったのでした。
このこだわりが1960年代後半まで続くフレッド・ハーヴィー社の栄光と伝説に彩りを添える事になりました。
モンテズマの名物料理はグリーン・タートルのスープとステーキでしたが、
生鮮品にこだわり、ホテルに生け簀を設置して、注文を受けてから
グリーン・タートルのスープとステーキをゲストの食卓に出していました(当然、作り置きは認めない)。


1977年には映画のロケ地となり、現在はアーマード・ワールド・カレッジの敷地の一部となっています。
                                         談 山本 喜一

このあと、お手洗いを探したのですが見つからず、家族経営という感じのレストランに入りました。
ここで食べた手作りのブルーベリーチーズケーキがとても美味しくて、思わず美味しい!
経営者の娘さんらしき女性が、「私がつくったのですよ。」とニッコリ。
因みに、このレストランのお手洗いは、建物の外から入ることができて、まぁいわば何も食べなくても
使わせてもらえそうでしたが、いえ、いえ、それは失礼ですね。



ラスベガスの町は、落ち着いた雰囲気のきれいな町でした。
メイン・ストリートを車で通りすぎただけでしたが、適当に賑やかで、適当に静かで、住み心地よさそうでした。

これでラスベガスとお別れです。




サンタ・フェに向かう途中、Pecos Nat'l. Hist. Pk.に立ち寄ろうと考えていました。
そこには、先住民の遺跡があるというーーー。先住民の遺跡は初めてなので、期待に胸が膨らみます。
お天気が良くて、暑くも寒くもありません。

向こうに見える山は、Santa Fe BaldyとTruchas Pk.です。
Pecos Nat'l. Hist. Pk.は、もうすぐです。



[ルート66目次][HOME]   戻る  進む