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                   ところが、JAPANはまるで過疎。 
                  人っ子一人いません。 
                        消防署の分室にJAPANと書いてあったので、 
                        間違いなくJAPANではあるのですが、 
                        ひっそりとしています。 
                  車もあまり通りません。 | 
                
                
                   
                  
                  
                    
                      
                        
                  道なりに進んで行くと、学校があって、学校を通り過ぎると隣の村STRAINになってしまいました。 
                  誰かに聞きたいと思っていると、年配の女性が一軒の家から顔を出しました。 
                  私たちを訝しげに見ています。 
                  思い切って「ここは、STRAINですね。隣の村のJAPANについて教えていただきたいのですがーー。 
                  あっ、私は日本人で日本から来ました。」と声をかけてみました。 
                  「なぜ、隣の村がJAPANと呼ばれているかご存じですか。」 
                  「いいえ、私が結婚してこの村に来たときはもうJAPANでした。なぜJAPANと呼ぶのかは、全く知りません。 
                  JAPANに行って、聞いてみたらどうですか。」 
                  「そうします。でもあと一つ。JAPANには、東洋系の顔立ちの人が住んでいるんですか。」 
                  「いいえ、全然知りません。」 | 
                       
                    
                   
                   
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                        STRAINからJAPANに戻る途中で撮った写真です。 
                  普通のアメリカの村です。 | 
                       
                    
                   
                   
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                  さっき見た学校の前に戻って来ました。 
                        右の看板を見て、きっとSTRAINもJAPANも過疎の村 
                        なので、共通で学校、しかも小・中・高まである 
                        学校なのではないかと思いました。 
                         
                        日本に帰ってからインテーネットで検索して見ると 
                        この学校は、小学校と中学校が併設されていると 
                        分かりました。 
                         
                        ここで聞いてみれば何か分かるかと思ったのですが、 
                        どうも敷居が高くて、勇気がでませんでした。 
                         
                        ここでもJAPANの文字を見ると、 
                        なにか懐かしいような変な気分になりました。 
                        自分でも不思議だったのですがーーー。  | 
                  
                  
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                  教会が見えたので行ってみました。 
                        その教会の隣に墓地があったので、 
                        はっと気が付いたことがありました。 
                        失礼だとは思ったのですが、墓地に入って 
                        埋葬されている人々の名前を見ました。 
                        墓石が日本の墓石に似たものがあったのです。 
                         
                        でも、でも、 
                        日本人らしき名前は見つかりませんでした。 | 
                
                
                   
                  
                  
                    
                      
                        
                  そのとき、先ほどから何度も見かけた郵便配達車が教会にやってきたのです。 
                  郵便局の人なら知っているかもしれない!と最後の望みをかけて、声をかけてみました。 
                   
                  その郵便局の人はとても優しい中年の女性で、日本人と昔文通していたとのこと。 
                  消息が途絶えた彼女の行方を探しているというのです。 
                  できたら探して欲しいーーーー。 
                  JAPANについては何も知らないけれど、サリバンの図書館に行ってインターネットで探してみては?と 
                  助言し、図書館の地図を描いてくださいました。 
                  JAPANには、以前は食料品店があったけれど、今は店じまいして、 
                  ここらの人はサリバンまで買い物に行くんだそうです。 
                   
                  図書館は見つからず、諦めて旅行を続けることにしました。 | 
                       
                    
                   
                   
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                  この旅行から帰ってみると、彼女から手紙が届いていました。 
                  JAPANという村についてのコピーが入っていました。 
                  ドキドキしながら読んでみると、 
                        「1800年代の半ばまで、この村に住んでいる人のの多くがRenickさんだったので、 
                        Renick村と呼ばれていた。 
                  1860年に郵便局ができて、局長が正式名称をJAPANとした。」とありました。 
                  というか、これ以外命名の由来はわかりません。 
                   
                  でも日本とは、なんら関係ないことは明白で、少しがっかりしました。 
                        もっとも、IS44の沿線には、キューバもあれば、レバノンもあります。 
                  深い意味はないのかも知れません。 
                         
                        
                          
                            
                              
                              
                    
                      
                        Sachiko Tazawa 
                        5-39 3丁目 
                        南××、八尾市 
                        大阪府 | 
                       
                    
                   
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                              ところで親切にしてくださった郵便配達員さんが 
                              探しておられる方は、左の方です。 
                              ご存じの方は、ぜひご一報ください。 | 
                             
                          
                         
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                        この後、去年メラミック・キャバーンの入口で食べたサンドイッチをもう一度食べたくて、 
                  わざわざISを戻って行ってみたのですが、その店は閉店していてがっかりでした。 
                   
                  
                    
                      
                        ルート66旅行は2003年と2004年に行きました。 
                  セントルイスからオクラホマ・シティの間は、ダブって旅行しました。 
                  このサンドイッチを食べたお話は、もっと先に書いてあります。 後で出てきますので、そのとき、ああ、と思い出して下さい。 | 
                       
                    
                   
                   
                  仕方がないので、ISで進んで途中HEN HOUSE というレストランで、遅い昼食として 
                  BLT(ベーコン、レタス、トマト)サンドを食べて一息つきました。2人で9.95+1$。 
                   
                  その後、去年メープルナッツというお菓子が美味しかったので、同じ店に行ってみようということになりました。 
                  そのお店は、IS44の118出口にあります。 
                  すぐに見つけて行ってみたのですが、メープルナッツは、一袋しかありませんでした。 
                  買い占めようと思ったのにーーー。 
                  でも、その後あちこちのスーパーで探したところ、置いてあるスーパーもありました。 
                  やはりスーパーの方が安いんだ!と分かりました。 
                   
                  今走っている道は、去年しっかり旧道をトレースしたので、ISを一目散です。 
                  途中レストランやモーテルの広告がたくさんあります。 
                  中でもSpringfield INNというのが、29.55$と安く値段を出していたので、 
                  今晩はそこに泊まることにして、行ってみました。 
                   
                  ところが実際は、税込みで44.38$。 
                  まぁ、こんなものでしょうという感じで、Springfield INNに泊まることにしました。 
                  ここはインド系の人が経営していて、部屋にコーヒーメーカーはありませんでした。 
                  プールはあったけれど、寒いからか使用できない状態になっていました。 
                   
                  日本にいるとき、時々デニーズに朝ごはんを食べに行くのですが、 
                  以前、グァム島に行ったとき、デニーズの食事がやたらボリュームがあったのを思い出し、 
                  夕食はデニーズに行ってみました。 | 
                       
                    
                   
                   
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                        私が食べたFISH &TIPS  5.37$ ジャンクフードという感じでした。 
                        相棒が食べたステーキは、今回の旅行中に食べたステーキの中で 
                        一番美味しくなかったそうです。 | 
                       
                    
                   
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