ルート66 03/04/29 その1
5頁 イリノイ州地図
スプリング・フィールド

今日は、いよいよ、ミシシッピ川を越えて、ミズーリ川セントルイスまでは、行かなければなりません。
無事行けるだろうかと、毎度のことながら不安が胸をよぎります。

朝食はホテルに付いていました。
簡単なコンチネンタルですが、車で出発してからどこかで食事するというのは、結構面倒なのでとても助かります。
スプリングフィールドは、シカゴから日帰りツアーでやってくるところとかで、
観光に力を入れており、ホテルには市内観光地図が置いてありました。

その地図を持って、まず昨日通らなかったルート66を通ってみて、
それからアメリカ第16代大統領リンカーンのお墓を見に行こうと考えました。

ところが、このリンカーンのお墓が見つかりません。
案内してくれるはずの道標が、突然なくなってしまうのです。

パトカーはいるし、慣れない左ハンドルだし、街の外れにあるリンカーンのお墓を
散々苦労してやっと見つけるのに1時間ぐらい かかったように思えます。


スプリングフィールドの町をぐるぐる回っていて、『わが軍を支援しよう!』という看板を
庭に立てている家がかなりあるように思いました。
いえ、スプリングフィールドだけでなく、イリノイ州では、多かれ少なかれ、そういう家を見かけたように思います。
星条旗を庭や乗用車に掲げているのもよく見たような気がします。



 リンカーンのお墓は、花が咲き乱れ、芝生が美しく、大袈裟に言えば、この世の楽園のようでした。
中に入って棺を見ることができます。

リンカーンのお墓 リンカーンが住んでいた家

上の右側の画像は、市内中心部にあるリンカーンが住んでいた家です。
リンカーンのお墓付近から、案内が出るのですが、なんと複雑な道をぐるぐる。
距離にすれば近くても、市内が一方通行になっているので、大回りしなければならないのです。
リンカーンはケンタッキーの人だと思っていたのですが、ホワイトハウスに移るまでの何年かを
ここで家族と暮らしたのだそうです。
駐車するのに2$かかりましたが、内部見学は無料。
しかし、無料のチケットを貰って決められた時間にガイド付きで入らなければならないので、
ここでも、しっかり時間がかかってしまいました。
リンカーンの家というと丸木小屋を思うのですが、
丸木小屋の複製が市内からかなり離れた場所に作ってあるんだそうです。
本物ならどんなに時間がかかっても見に行きますが、複製だし、その日は中に入れないだろうと言われてパス。

次に、スプリングフィールドのルート66愛好家の有名人、ビル・シーさんのお店に行きました。
本当は、昨日正規のルートでスプリング・フィールドに入れば見つかったお店なのですが、
道を間違えて、今日やっと見つけることができました。


ビル・シーさんのお店 ビル・シーさん

ビル・シーさんは、かつては、ガソリンスタンドを経営していたのですが、
今は、トラックの部品の販売をしながら、ルート66コレクションを展示した私設博物館を
旅行く人に見せて下さっています。
入場料は無料。住所・氏名を記入すればOKです。
「いろいろな国の人が来るよ。最近では、ベルギー、台湾。そうそうプエルトリコからも。」
と、楽しそうにノートを見せて下さいました。
「またおいで。再会を楽しみにしているよ。」と言っていただき、握手して別れました。

 
頂いたサイン
一方通行になっている街中をうまく移動して、市街地を抜けました。
あと一つスプリングフィールドで行かなければならないところがあります。
『コージー・ドライブ・イン』
ここは、アメリカンドッグを考案し、最初に売り出したお店だとか。
ぜひ食べにいかなければーーー。うまくみつかるだろうか?
という心配は必要ありませんでした。道路の右側に、簡単に看板を見つけることができました。


ルート66を愛して来た人々の高齢化が進む中で、ここは息子さんが2代目になり、共に経営しているとのこと。
お店に入ると、若い男女と中年女性が働いていました。
時間も過ぎているので、ここで昼食にしましょう。
アメリカンドッグって、もともと食べたことがないのでどんな味かわからないのですが、
ここで食べたアメリカンドッグは、残念ながら美味しいとは思えませんでした。
ソーセージが美味しくない!
棒にさしてあるので、運転しながら食べることができる、という点が画期的だったんでしょうね。
日本に帰ったら、アメリカンドッグをあちこちで食べてみましょう、とか思い、店を後にしました。

コージー・ドライブ・インを始めたのはエドウィン・サットン・ウォルドマイヤー・ジュニアとバージニアの夫妻で
初めてアメリカでコージー・ドッグ(日本で云えばアメリカン・ドッグ)を作った人です。
コージー・ドッグとして商標登録されたのが1946年の事です。
エド・ウォルドマイヤーはその後、イリノイ州ロチェスターで
コージー・ドライブ・インのフランチャイズ店を始めて、1993年に死ぬまで営業していました。

このコージー・ドライブ・インもルート66沿線の有名飲食店の一つで、
今でもウォルドマイヤー家の経営で長男のバズ・ウォルドマイヤーとその一家がドライブインを営業しています。
次男のボブ・ウォルドマイヤーはアリゾナ州ハックベリーののよろずやを
ビジターセンターにしてそこに住んでいて、二枚窓のワーゲンでルート66を幾度も往復し
ルート66の沿線風景を自らのペン画で残しました。
今はビジターセンターを他人に渡してイリノイ州ロチェスターでペン画の葉書を描いています。
                                        談  山本 喜一

リッチフィールド

リッチフィールドに着くと、左の標識に出会いました。
ルート66は、実は何度も作り変えられて、
どれが本物だか、よくわからない面もあるとのことですが、
とにかくこの道標で古いほうを行きましょう。

では、誰がこういった道標をつけているのかと
言いますと、聞いた話では、各州に
ルート66保存協会といったグループがあって、
そこの人々によって、いろいろな活動が
なされているんだそうです。

州によって、温度差があるとか。
イリノイ州は、とにかく痒いところに手が届く
親切さで道標があります。
どっちへ行こうか?

左の古いほうの道を曲がるとすぐに、『アリストン・カフェ』があります。
私たちは、古い方の道に入ったのですが、アリストン・カフェは、この旧道に面しています。
下の左の写真が、旧道に面したアリストン・カフェです。
ということは、このお店は、1930−1940のいつかにオープンした店だということですね。
しかし、新道に背を向けていたのでは、商売になりません。
新道の方にもちゃんと、看板が出ていました。下の右側の写真です。

旧道側 新道側

道は分かれたと言っても、ほぼ平行に走っていて旧道から、新道が見えました。
新道は、車が行き来する言わば、普通の道ですが、旧道はなかなか雰囲気があります。


もう営業していない、旧道沿いのお店の風景

しばらく(と言っても、あっと言う間でしたが)
行くと左の道標が出て、
旧道と新道は合流します。

この道標に出会える嬉しさ!
いつもいつもこれで良いのだろうか、
道を間違えているんじゃないか、と
心配しながらの旅です。
これがないと、ルート66をたどる旅は
できないのではと思います。



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