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左の名刺は、本当にアメリカ西部という感じ!
とても気に入って、1枚いただきました。
このサイトを見て、
このモーテルに泊まったという人が
現れたら嬉しい!
どなたか是非! |
このホームページに記載されている「SAN JON MOTEL」に宿泊してきました。
もちろん名刺も頂いてきました。
オーナーの名前が「Buck and Kareen Buchanan」となっているものが
現在は「Lani & Curt Simonsen」です。
ツクムカリの「ブルースワローモーテル」と悩んだのですが、
休業中という情報もあったので確実な前者に泊りました
(結局は「ブルースワロー」もOPENしていましたけど)。
石戸谷 悠 (06/ 3/ 8 記) |
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一番端の車が我レンタル愛車。泊まった部屋の前に停めてあります。
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モーテルの前の道。西に向いています。
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モーテルは、インターステート40の出口近くにありました。
これは、その出口近くのお土産物屋さんにあった風車の写真です。
車で走っていると、もう動いていない風車も結構見るのですが、これは現役!
汲み上げている水が見えるでしょう? |
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案内書には、インターステートを行くようにと書いてあったのですが、
モーテルの前の道に旧道の雰囲気があったので、こちらを進むことにしました。
進むにつれて、旧道の色濃く、少し嬉しい気持ちがしました。
ところがーーーー。 |
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橋の工事のため、通行止めになっていました。がっかり!
この道の右側にISが見えます。余り戻らなくても、インターステートに入れるのではないかと思い、
少し戻ってから左折し、インターステートを目指したのですが、それが大間違い!
色々な道を探してみたのですが、どうにもインターステートに入れません。
牛の群に出会ったり、大きな石がごろごろの道になったり、結局大変な時間をかけながらも全て失敗で、
モーテルの近くまで戻ることになりました。
戻る途中で、「この先、橋の工事につき通行不可!」という看板に気が付きました。
進んでいるときは、全然目に入りませんでした。
サボテンに出会えたのが何よりだと、慰めていたのですが、このサボテン、後から何度も見ることになります。 |
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一目さんにインターステート40を!
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ここにもやはり赤い土がーーー。
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雄大な景色に見とれているうちにツクムカリも近い!
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ツクムカリの町に入りました。
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かつて、ツクムカリは宿場町として大繁盛したとか。
クリント・イーストウッド主演の古い映画
『夕日のガンマン』を見ていたら、
ツクムカリが出てきました。
「この列車はツクムカリで止まらないから、
サンタフェまで行って戻るように。」
とかいう会話がありました。
上の写真のモーテルは、
『ブルースワローモーテル』。
1942年創業の老舗モーテルです。
今ではテレビのないモーテルはないのですが、
テレビ設置のモーテルは、
自慢できる時代があったのですね。 |
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ツクムカリも嘗ては鉄道の町でした。 このツクムカリは二つのパシフィック鉄道の合流点でした。
一つはシカゴからのシカゴ・ロックアイランド&パシフィック鉄道
(RI, ROCK,CRI&P Chicago
Rock
Island&Pacific Railroad)、
もう一つはロサンゼルスからのサザン・パシフィック鉄道(SP
Southern Pacific
Transpotation)です。
西進してきたロックアイランドはサザン・パシフィックに行く手を阻まれ、
ロックアイランドは自社線のみでに太平洋に到達する術は無くなりました。
ロックアイランドはツクムカリでサザン・パシフィックに接続することしか
自社の列車を太平洋岸に到達させる事ができなくなりました。
現実をとらえたロックアイランドは自社線での太平洋岸進出を諦め、
名前だけのパシフィック鉄道となりました。
此のルートをサザン・パシフィックではゴールデン・ステート・ルートと呼んでいました
(ゴールデン・ステートとはカリフォルニア州の愛称)。
嘗ては直通列車のロックアイランドとサザン・パシフィックの機関車や車掌車の交換が頻繁に行われ
カリフォルニア・南アリゾナからの柑橘類・生鮮野菜を積んだ
サザン・パシフィックの貨物列車が頻繁に通過してい
ました。
合理化で、ツクムカリでの直通列車における車輌の付け替えが無くなりました。
更にロックアイランドの破産に因り、
ツクムカリから東側の線路もサザン・
パシフィックに吸収されました。
これに拠りツクムカリは鉄道の町としての存在意義は無くなりました。 談 山本 喜一 |
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